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FUJIROCKを目指して

2025年3月24日 · 3分で読む

フジロックに出たい、と思ったのが2024年の春。そこから他のこと考えたり忘れてたりした時期を経て、2025年に始動しました。自分は今年で42歳。おっさんであります。身体もたるみ、肌も衰え、髪も抜けてきました。しかし、中学校から始めたギターのことは手が覚えていて、久しぶりに音を出してみるとなかなか心地よい。仕事や子育ての合間を縫ってギターを抱え、ドレミファの運指から準備運動をしています。音叉ではなくクリップ型のチューナーを凝視しながらペグを回すと、未成年の頃には出せなかった6弦の調和を鳴らすことができた。それから毎晩ギターをかき鳴らす日々です。さて、冒頭のフジロックですが、初めて行ったのは2008年でした。基本的に貯蓄の無い私に訪れた、突然の僥倖。渋谷は岩盤の店舗へ行き、震えながらチケットを購入しました。麦わら帽子と一人用テントを購入し、完全に浮かれた頭のまま電車に乗り込んだ訳です。当時のヘッドライナーは、プライマルスクリーム、マイブラッディバレンタイン、Thebirthday、Underworld、ゆらゆら帝国。マンゴビールとケバブを両手にマップ上を行ったり来たりして楽しみました。テントなので朝はトマト丸かじりで始まります。そんな中で、夜中グリーンステージを通りかかった自分に魔が刺しました。

真っ暗な中、セキュリティの目を盗んでグリーンステージに忍び込み、ほふく前進で中央まで進み、ステージに立ったのです。そこからの景色は、もちろん夜中なので真っ暗で誰もいなかったのですが、壮観でした。だから何だと言うわけではないですが、42歳になり棺桶に爪先を突っ込んだまま日々を過ごす中で、明日死ぬとしたら何を後悔するだろうかと考えました。「フジロック、出たい」これだけです。私がギターを持ち歌うのは、これだけの理由です。二十代を「らしょうもん」のドラムとして駆け抜け、自分の未熟さから挫折し、資格を取り仕事につき家庭を設けてこのまま生きていくことだって良いわけです。挑戦しなくても、生きていくことはできます。そんな中で、自分の声で、自分の音楽を発信したいと思うようになりました。最初のギターは小学校の頃、家にあったボロボロのアコースティックギターで「なごり雪」を一生懸命練習したのが始まりでした。そこからの楽器遍歴は、ギターボーカル→ベース→ウッドベース→ドラムでしたが、ここで改めてギターボーカルに戻りたいと思います。

三十代の頃に「回回」(かいかい)というドラムボーカルとギターによるデュオバンドで、オリジナル曲を作りライブをしていたことがあります。私の身勝手で活動を辞めてしまいましたが、その時に私の曲をちゃんと形にしてくれたメンバーに非常に感謝しています。それが自信になっている部分もあります。また、その時のライブの後、全く知らない人から、良かったですと褒めていただいたことがありました。その時は驚きの方が大きく戸惑ってしまいましたが、今思い出すと本当に嬉しい瞬間だったと思います。自分の歌が誰かにとって「良いもの」「もう一度聴きたいと思えるもの」であるならば、これ以上のことは無いかもしれません。ある晩、『くるりのえいが』を観ました。妻と酒を呑みながら、懐かしい曲をやるもんだなと眺めていました。舞台は伊豆のスタジオで、初期くるりメンバーが缶詰め状態でアルバムを作る様子を映しています。三人で向き合いながら、誰となくフレーズを弾き、それに合わせる。私は思いました。プロでもスタジオでやることは一緒なんだなと。音を出し、それに歌を乗せて、歌詞を書き、録音する。本当にその一連の流れを繰り返しているんだなと。また、それをしたいと思いました。音楽をやりたいと、思ったわけです。

早速、私はギターボーカルとして立ち、スタジオに入りました。久しぶりにでかい音を出すと楽しい。声も合わせて何となく曲になりそうな断片をiPhoneに録音しました。また、家で一人の時に「月の爆撃機」カバーを撮影しました。その映像をネタにバンドメンバーを探します。しかし、声をかけられる人がいないと言うよりも、自分の都合の方が悪く、果たしてバンド活動ができるのか、そちらの方が不安要素になります。声をかけて応答してくれた友人には「しばらく一人でやった方がよい、モチベーションは高いから大丈夫だ」とアドバイスを受けました。確かに。いきなりバンドで始めてスタジオの都合で悩むより、曲作りをした方が良いと、全くその通り、と膝を叩きました。それから私はホームページを作りました。完全HTMLです(SNSリンクはJS少し)。細かい話をするとv0というAIエディタで大枠を作り、CursorにAPIを入れて編集しました。実はサイトの見本にしたのは「くるり」のWebサイトです。トップのデザインはないですが、真っ白背景の雰囲気を参考にしています。アーティスト写真もまだ無いです。どこかの公園で森林背景で撮影する予定です。多分。ページビューはGoogleアナリティクスで確認できますが、確認すると何故かアメリカやインドネシアから閲覧されています。Webサイト攻撃対象になっていないといいですが。

このブログサイトも自作になります。noteや既存のブログサイトを使いたくなかったのが理由です。なぜなら、ログイン等の面倒やいいねやフォローが煩わしかったからです。何も気にせず文章を書きたかった。文章から"人となり"がわかるとは言いますが、考えを伝えるには最適の場所なので、最低限の機能でストレートに伝わる場所を作りたかったのです。ちなみにこの文章はAI生成ではありません。100%人間の手で書かれています。基本的に文章を書くときはiPhoneのメモアプリを使用しているので、画面いっぱいに文字が埋まったら、それを1ブロックとして×6くらいのボリュームです。ブロック大体550文字くらいかな。3,300文字で原稿用紙だと8枚くらい。こう見えて、三十代中頃に小説を書いていた時期があります。親族の不幸をきっかけに途方に暮れていた私はある書籍に出会い、そうか自分でも描けばいいじゃないかと思い立ちました。早速「小説指南書」などの参考書を購入し、1日数行から始めて、原稿用紙50枚まで書き上げました。それを季刊誌の公募に出したところ、受賞しました。先に言った書籍の作家様にも直接お会いし、お話する機会をいただき、感無量でした。そこから次の作品を書くぞと意気込み活動しましたが、これが全く不振でした。有名な新人賞に応募したものの、二次審査にも通らず。めげずに書くような気力や精神力もなく、そのまま物語を書く手を止めてしまいました。

何年も基礎練として原稿用紙1枚分の日記を書いていたおかげか、文章を書くこと自体は苦ではないですが、もう小説を書くところまでは這い上がれない気がしています。ただ、断筆など大袈裟なことはなく、書きたいことができたらまた始めればいいやくらいの気持ちでいます。参考になるような小説家を調べていた際に森博嗣氏のブログを見つけて、ひたすら文字の集合体がべたっと貼り付いている様子に惹かれたのを思い出します。このサイトはそんな感じにしたいと思っています。このブログはreactを基調としたソースコードでできているので、文章を更新するにはエディタを開く必要があります。スマートフォンで気軽に更新できない不便さもありつつ、自ら表現する場所を作り上げる楽しみもあります。今のところ「ライオンさん」で検索するとGoogleでは4ページ目くらいに出てくるので、SEO対策も必要です。世の中にライオンさんというワードは溢れているのでインターネットで見つけられないのは致命的かもしれませんが、様子を見ていこうと思います。ドメインは取得しました。「lion.net」「lion.blog」です。ネット検索でこのワードを入力すれば一発で出てきます。表現やお知らせとしての場所ができたので、あとはコンテンツを積み上げるだけです。

写真はInstagram、つぶやきはx、歌ってみた動画をTikTok やYouTube、文章はブログ、ライブお知らせはホームページ、という棲み分けで続けていこうと思います。週末の早朝にスタジオに入るルーティングにしていますが、前日の夜に深酒してスタジオをすっぽかすことがありました。本当に情けない。情けなさすぎる。音楽を鳴らすことでしか表現できないのに、その機会を失ってどうする、と自戒しました。前日に深酒、夜更かしをしません。この場所で宣言させてください。フジロックに出たい、と先に言いましたが、フジロックだけでなく他にも登竜門と呼ばれるフェスはあります。しかし、フジロックに出たい。もちろんそれだけが目標ではないです。でも出たい。っていうかライブしたい。オリジナル曲、どんどん作るぞう。

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